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公益社団法人 大阪広告協会 70周年記念事業サイト

大阪広告協会賞 受賞企業インタビュー

 記念すべき第一回目に登場いただくのは、
第1回の大阪広告協会賞を受賞されたパナソニック株式会社(当時、松下電器産業株式会社)。
創業者である松下幸之助氏の広告哲学や現在に至るまでのメディア戦略などについてたっぷりとお伺いしました。

パナソニック株式会社 宣伝部長 細川浩二さま

大阪、日本、グローバルを見据え、
産業人の使命として広告と向き合う

パナソニック株式会社 宣伝部長 細川浩二さま
1984年松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社。ビデオ本部配属。
2008年本社広報グループマネージャー、2013年理事・コーポレートブランドプランニンググループマネージャーなどを経て、2013年より現職。特に2008年の社名変更・ブランド統一の際、広報責任者としてマスコミを中心とした対外発信活動を展開。

メディアの重要性をいち早く認識し、広告・宣伝を展開

伊吹先生取材に向けて、「松下電器宣伝70年史」を拝見しました。コーポレートコミュニケーションやPRといった言葉がかなり早いタイミングで使われていて、驚きました。創業者である松下幸之助さんのお考えもあり、御社にとっての広告・宣伝という言葉は、広報と非常に近い意味を持つ言葉だと私としては認識しています。そのあたりを含め、今日はありがたい話が聞けそうだと楽しみにして参りました。まずは、御社の現在に至るまでの広告・宣伝活動の取り組み、メディア戦略についてお聞かせいただけますでしょうか。

細川宣伝部長はい。当社の広告・宣伝の変遷について順を追ってご説明します。まず、宣伝に関わる組織が初めてできたのが、1927年に総務部の中に設置された宣伝課になります。その後、1951年には宣伝部が設置され、松下幸之助創業者が初代部長に就任しました。このことが、創業者の宣伝に対する強い思い入れの表れだと思っています。当社の広告・宣伝の特徴として新聞やテレビなどの媒体に対して、いずれもかなり早いタイミングでその重要性を理解し、広告・宣伝を展開してきたということがあります。例えば、インパクトに残る「♪~明るいナショナル」の歌付きのコマーシャルは、テレビ放送の開始から3年後の1956年には、お茶の間に流れていました。テレビの普及率が飛躍的に向上するきっかけとなった皇太子殿下のご成婚の前夜番組を、朝6時から夕方18時まで12時間単独スポンサーで放映した記録もあります。
また、会社の考えを広くお伝えするコーポレートメッセージを積極的に展開してきたというのも特徴の一つです。これは、商品を売ることに加えて、会社としての考えを明らかにし、経営姿勢をお伝えしなくては、という使命感が創業者のなかにあったからだと思います。その後、創業者が亡くなってからも当社はコーポレートメッセージの発信に注力し続けています。2008年には「社員の一秒の努力、一滴の汗も無駄にせず、すべての力をパナソニックに結集する」との強い思いで、パナソニックにブランドを統一し、社名変更を断行しました。そして最近では、事業のグローバル化の進展に伴い、オリンピックのスポンサーシップ活動を訴求する企業広告や世界的に知名度・人気のあるサッカー選手、ネイマール氏を起用した企業広告など、グローバルでのブランド発信に取り組んでいます。

伊吹先生大変よく分かりました。今のご説明でもグローバルという言葉が出ましたが、御社は、相当初期の段階から世界を見据えて広告を打って、実際に海外の売り上げもどんどん拡大していった企業だと思います。そのようなグローバル展開の一方で、地元・大阪広告協会の賞を近年も含め何度も受賞されていらっしゃいます。それが個人的にはとても興味深いなぁと思うのですが、御社にとっての創業の地である大阪の位置づけ、意味合いを教えていただけますか?

細川宣伝部長パナソニックの前身である松下電器が大阪の会社であったということ。これは変わらぬ事実で、時代が変わっても、どこかに大阪の血、遺伝子があるというのは間違いありません。我々は会社として、世界文化の進展に寄与する、という経営理念で動いており、その地域の一つとして大阪があり、日本があり、グローバルもあるということです。大阪を見据え、日本を見据え、その先のグローバルを意識しながら事業展開、あるいは広告・宣伝展開をしているというのが一番正しい言い方だと思います。

伊吹先生なるほど。東京、大阪ということでいえば、使いわけていることはございますか。

細川宣伝部長宣伝部門は、東京と大阪双方に置いていますが、新聞、テレビ、ラジオは大阪で、ウェブや雑誌、OOHは東京で、というように機能的に使い分けています。どちらで展開したほうがより効果的であるかという観点で運営しており、ことさらに東京だ、大阪だということは意識していません。ただし、大阪にいますとやはり当社はおひざ元でもあり、甘やかされている部分があります。一方、東京では競合他社が多いため厳しい環境下に置かれることになりますが、時にはあえてその厳しい環境に身を置く必要もあるのではないか、とも考えています。

伊吹先生おっしゃるように競合他社の多い東京でもまれる、という状況も必要だと思います。しかし一方で、長い付き合いのある広告会社やメディアを含め御社のことをよく知り、親しみを覚える間柄だからこそ言い合えることもあるという気がします。そういう意味では「大阪仲間」といったような仲間も大切なのでは、と思うのですけどいかがでしょう?

細川宣伝部長決して仲良しクラブではあってはいけないとは思いますが、大阪に生まれ育った者同士はやはり同郷意識があるので、胸襟を開いてものが言いやすいメリットも確かにあります。私は、長く広報にいましたが、広報は他社でも悩んだり困ったりすることはだいたい似ているので、仲良くなりやすかったです。

「広告は義務だ」~創業者・松下幸之助氏から受け継がれるDNA

伊吹先生松下幸之助氏は、「良いものを正しく、早く消費者に伝えるんだ」という考え方をお持ちの方だったと思います。実際の松下氏の広告に対する考え方はどうだったのでしょう。

細川宣伝部長おっしゃる通りです。松下幸之助創業者は「広告は企業の社会的使命だ」という類の言葉をたびたび口にしていました。それは、真に良い商品を作ったならばこれをお使いになれば便利で利益になりますよ、と消費者に早く広くお知らせすることが産業人・企業人としての義務だと考えていたからだと思います。口幅ったい言い方を許していただくと、その創業者の意識、DNAのようなものは我々の中に生き続けており、どう具現化していくか、というのが私たちに課せられた使命だと考えています。

伊吹先生トップ企業の矜持というものを感じますね。文脈は違いますが、例えばトヨタ自動車さんが「いつでも工場見学にいらっしゃい」とオープンな姿勢でいるところにトヨタさんの確固たる自信を感じるのですが、御社の広告の姿勢にも近いものを感じます。「我々は正しいことをずっとやっている。できるものならやってみなさい」というような、凛とした強さをパナソニックさんの広告からは感じます。

細川宣伝部長そういっていただけるとありがたいです。正直に申し上げて、会社の経営としましては良かった時ばかりではありません。それこそ会社が潰れるかもしれないというところまで追い込まれた時もありました。ただし、そういう厳しい状況に直面した時も、「良いものを早く、広くお伝えする」という使命は変わらない。パナソニックにはそういうDNAがあると思うし、そこに関して揺るぎない信念を持っているつもりです。

伊吹先生創業者の思いを受け継いでいかなければいけないということだと思いますが、現実に目を向けると状況は刻々と変化しています。家電、そして日本市場が中心だった昔と比べ、市場は広がり、BtoCから BtoBへと変わっている。その中で、創業者のイズムを変えていかなくてはいけない場面も出てくると思うのですが、どうでしょう?

細川宣伝部長現相談役である中村が社長の時ですが、非常に厳しい経営状態に陥った時、「経営理念以外はすべて壊す」という強いメッセージが発せられました。つまり経営理念以外は聖域はない、何を壊しても構わない、という趣旨の発言でして、そうやってなんとか経営を継続してきたという歴史があります。
BtoCから BtoBへと変化していくなかでも、世界文化の発展に寄与する、人々の幸せに資する、という会社の存在理由を変えてはいけません。だから、目的は分かっているのだけれど、ではそのために何をするのか、という具体的な方法論に関してはまだ十分議論をしていかなければいけないと思います。

好景気を取り込み 広告で関西をもっと元気に

伊吹先生御社は広告協会賞を何度も受賞されています。このことについてはどうお感じですか。

細川宣伝部長とてもありがたいことです。狙って頂けるものではないので、評価をいただいたものということで非常に光栄に思います。

伊吹先生大阪の広告界に対して思うことをお聞きしてもよろしいでしょうか。

細川宣伝部長そうですね。大阪が活気づき、元気になっていくためには、関西の企業一社一社がやはりもっと元気を持たなければいけないのかなぁと思います。東京オリンピックの開催やインバウンドの加速で、しばらくは右肩上がりの経済状況が予測されています。その勢いをどう大阪に取り込んでいけるかというのが肝で、関西にある企業の頑張りどころかなぁという気がしています。

伊吹先生広告に関する考え方として、御社はトップが広告をとても大切にしていらっしゃった。ほかの企業さんはそうではない場合がほとんどで、「広告をしましょう」となった時、まずは社長を説得することから始めなければいけません。これは非常に大きな違いですよね。

細川宣伝部長そうですね。経営トップの判断はとても重要ですから。松下幸之助創業者は、広告イコール経営だと捉えているところがありました。状況が厳しくなったとしても、そのように創業者が大切にしてきた広告を引き続きしっかりやらなくてはいけないと思います。

伊吹先生すごく個人的な感想なのですが、そういう風に広告を大事にされている御社が、実益を上げ、広告協会賞を多く受賞されることで「広告を大切にしている会社が実益をあげている」という他企業へのアピール、意識の拡散につながっていくような気がします。大阪広告協会賞はクリエイティブなどの賞と違い狙ってとれる賞ではありませんので、大阪を元気にしたという結果としての広告協会賞をこれからもどんどん受賞してほしいと思います。

細川宣伝部長ありがとうございます。今日のお話を励みにこれからも頑張っていきます。

伊吹先生こちらこそ有意義なお話をお伺いできました。ありがとうございました。(了)